nonkinatohsan’s blog

このまま実りの無い人生で終わるのかと、 、 、

再び、トルストイに聴け!

今年も忙しかった九月が終わり、十月になってようやくほっと一息をついている。昨日そして今日は散らかりっぱなしの作業場をようやく片付けた。夕方畑の支柱などを片付け終わった頃、隣県に住んでいる姉と甥が飯米を取りに来て、一休みしたあと母を連れだって帰っていった。姉たちはお盆に墓参りに来た時にも母を連れていったので、今回も母は抵抗もなく車に乗り込み、嬉しそうに一緒についていった。母が良ければ何日間か向こうに泊まる予定で、帰る日は特に決めなかった。

 

十月は一番落ち着く季節のはずなのに、なんだか心は落ち着かない。何故なんだろう。あの暑すぎた夏のせいだろうか。そうかもしれない。

 

 

 

くすぶっていた火種があの強風のせいで飛び火となって、あちらこちらでまた大火事を惹き起こしている。大勢の犠牲者もでている。オレガオレガの劇場では悪役が主役、善人はやられっぱなしの端役。もうとっくに飽きてしまっているのに・・・

 

 

 

まだ終わらない

 

 

秋を感じて・・・

今日の夕方、少し遅い職場主催の夏忘れ(?)で居酒屋に居た。今その帰り。

行きは2㎞程離れてはいるが、一番近くのバス停からバスに乗って、その居酒屋最寄りの駅に着いた。

少人数(4人)の会ではあったが、大いに盛り上がった。二時間半程してお開きとなり、今は帰りの電車の車中にいる。駅に着いたらそこからは約4㎞、家まで歩きだ。お天気は良いのでのんびりと家まで歩いて行こう。

 

行きのバスに乗ろうと時刻表見たら、午後2時半の便しかない。会の開始は夕方5時だから、でもしょうがない、これで行くしかない。着いたらどこかで時間潰しをして過ごせばいいか。

 

丁度到着した駅には駅ビルがあって、本屋もあり、スタバもある。大丈夫。そうやって時間を有効に使う事ができ、かえって良かった。会は大いに盛り上がりこれも良かった。

 

今は・・・。途中駅で尿意を催し、下車してしまった。しばしの休息、特に急ぐこともなく、再びのんびりとした時を過ごしている。

 

駅の本屋さんでまた病気が出てしまった。でも今回は一冊だけにした。小さなカバンに入るのはこのくらいだから・・・

斎藤幸平さんの本にしようかと思ったが、難し過ぎた。次の機会にしよう、今回は戦後に出された「民主主義(文部省)」(角川文庫)の方を購入することにした。そしてスタバでロイヤルミルクティーを頂きながらさっと眼を通した。とても初心者向けに書かれている。しかし時代背景とかも考えながら読む必要もある。どなたが書かれたかは分からないが、しっかりと受け止めなければいけない。そう思う、その熱意を思えば・・・

 

基礎はとても大事です。大分早まりましたか・・・修正が必要かもです。

 

 

(蛇足。今駅から歩き始めました。後約50分位で家に着く予定です。)

 

9月の半ばを過ぎても暑かった!

「終わり良ければすべて良し」とは程遠い年だった。まだ数ヶ月残っているのだが、今年は完全に「The   end」。気持ちの折り合いがとてもつかない。自分が悪い訳でも、誰か他の人間が悪い訳でもないからだ。叩ける相手がどこにもいない。強いて言えばやはり自分自身を叩くしかないが、もはや叱咤激励できる範疇ではない。嫌なら辞めれば良いだけの話だが諸事情がとてもそれを許さない。楽観的になるのはとても難しいし、さりとて悲観的になれば自分自身を滅ぼし兼ねないのでそれも駄目だ。

 

その時時の気分や感情に浸り続けるのは時間の無駄だ。ただ淡々と事象や事実から真実を見極め、そこから合理的な答え(真理)を導き出すことが求められているのだろう。科学者の求められる姿勢が正にこれだ。ただ鵜呑みにするだけでは救われない。信じるには深い理解が要る。

 

打ち続く天災や戦争。とても未来は絶望的だが、それでも人間はその先に光を見いだすことができるだろうか。もしも○○○(○○○)がこの世に降り立っても、誰がそれとわかるだろうか。誰がその言葉に耳を貸すだろうか。誰がその言葉を理解することができるだろうか。

 

 

 

 

 

 

天からの恵みを待ち焦がれて

あつい!熱い!とにかく暑い・・・

 

枯れ始めた!雑草までが・・・

 

田畑の作物はとっくに青息吐息・・・

 

やっぱり見なければ良かった・・・

 

所々倒れていた・・・

 

せっかく汗水垂らしてここまで来たのに・・・

 

でも雨の代わりには なれない 汗水は・・・

 

梅雨明け後約四週間頑張ってここまで来たのに・・・

 

でも昔の方が大変だったろう・・・

 

そう思えば少しは慰めになるかと思えば

やはりそれは違った

 

昔の人の苦労など現代人には計り知れない

 

空調のお世話になってる現代人には・・・

 

 

 

 

八月一日

本当にあつい!

夜も寝苦しい!

(心苦しいがエアコンのお世話になっています!)

日中汗かく作業の時は是非空調服が欲しい!

(ただし一万越えると手が出ないし、買っても効果が薄かったら悔しいし!どーしよー)

(マヨッテイルウチニアキガクルヨ・・・)

 

八月になると終戦記念日をめがけて、戦争の話題が多くなる。母も夕方のテレビを見ていて思い出したようにその時の話をしてくれた。

当時隣の市がアメリカ軍の焼夷弾に焼かれた。十数キロしか離れていなかったのでその様子は今も強く心に刻まれているのだろう。 

 

話し合うことがお互いを理解するための基本なのだが、とにかく時間がかかる。気の短い小生には荷が重い。根気よく丁寧に話しをしたつもりが相手には全く通じていず、話が長いとあっさりと文句を云われる。人間が人間を本当に理解するのは不可能だとしても、表面的には仲良く暮らすことは可能だろう。でもそれには正しく諦めることが必要になる。しかし理不尽な力で攻めてくる輩には何で対抗すればいいのかはまだわからない。

(ソンナノンキナコトヲイッテルウチニ○○ガクルヨ・・・)

 

平家物語の冒頭の句はあまりにも有名。

「ぎおんしょうじゃのかねのこえ」

「しょぎょうむじょうのひびきあり」

(ココマデハマダダイジョウブソウ・・・)

「しょうじゃひっすいのことわりをあらわす」

(ショウジャ?セイジャ?エッチガウ?・・・)

(ヒツメツダッタカナァ・・・)

「えいこせいすい」

(ハイッテナイ?)

 

人の世の中、正しく諦められる?

 

でもうろ覚えでは・・・

 

 

 

ベニシアさん ありがとうございます

たまに家で寛いでいるときに、それもたまたまテレビをつけてるときに、nhk2チャンネルの「猫のしっぽカエルの手」を視たことが何度かあった。この番組を見ていると心が和む。どこに惹かれるのだろう。自然の多い京都大原という目に見える部分は勿論だが、ベニシアさんやその家族、友人知人のつながりや交流にほっとするのだ。生き方は人それぞれ色合いや風合いが違う。そして織り成す模様もまた違う。それがまた面白い。そして馴染んでいる。

 

今年も少し畑いじりをしているのだけれど、作業をしていると色んな虫たちと出会う。

(わあー 可愛いー!)

(わっ 気持ちわるっ!)

などと心の中で勝手に思っているのだが、すべての責任は当方にある。虫さんたちは全く悪くはない。

 

あちらに対抗するつもりは全く無い。まずその事を強調しておこう。でもなんとなく彼女の番組にあやかって、我が日々の暮らしぶりにもタイトルを付けてみたくなったのだ。

「蜥蜴のしっぽ蚯蚓のお尻」(読めない)

「蛙の目蝸牛の角」(これも読みにくい)

「カエルとカタツムリ」(ただ並べただけ)

「カタツムリとナメクジ」(?!)

「ヘビにダンゴムシ」(どういうつながり?)

 虫にこだわり過ぎ!

 それでは次っ!

「夏は狸の足跡 冬は兎の足跡」(アルアル)

「泥にまみれ 汗にまみれ」(ホントニソウダヨナ…)

「草との戦い 虫との闘い」(タタカワナクテイイノニナ…)

「泥の匂い 草の匂い」(ポエムカ…)

 そろそろ終わりにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

この星に生まれ来る命

この星を去り行く命

 

あなたの喜びは私の悦び

あなたの悲しみは私の哀しみ

 

響け 平和の祈り

届け 令和の誓い

 

数多の垣根を越えて

すべての違いを超えて

 

(22/10/2019)

 

大局観

将棋の藤井聡太七冠の勝負強さには圧倒される。そしてあの勝負観はどうやって培ったのだろうと思う。全て素質と努力の賜物というべきか、いやそれとも努力も素質の内とすれば、天才というしか無いのか。

 

生来勝負事は苦手で余り勝った試しがなく、生存競争にも負けがこんでいる凡人には只々溜め息を付くことしか出来ない。すでに最初から諦めているのであれば、「○け○`」とは決して言い過ぎではないだろう。だが「○ち○`」になるには本当にどうすればいいのか?

 

あの事件から約一年。

陰謀論は好きではないが、

一体何が起きていたのか?

悲観論は好きではないが、

大丈夫か、この○○は!

 

あぁいかんいかん

覚悟も無いのに憂○の士面は!

現場の人は汗水流しているのに

涼しい顔をしているのは誰だ?

そりゃー○"○"○だろー!