善人振るのが習い性になっている。これを小人(しょうじん)というのだろう。本当の悪人なら正々堂々と振る舞って、かえって大人(たいじん)に見られてしまうに違いない。
お互い共感出来てるって想うのは、全くの幻想なんだろうか。そう思えているうちは確かに幸せには違いない。全く大きな勘違いだとしても、相手に危害を加えない内は。
理想は人それぞれ違う。違うから現実社会、いや現実世界では、いつも争いが絶えない。哲学、思想が違ってもそうはならない。政治の主義や宗教が違うと最悪だ。しまいには人殺しが始まる。軍国主義、社会主義、共産主義などなどで。いや人権など無視してしまっている時点で資本主義でも同じか!。
一体幾柱の人身御供が必要なのか、平和の世の中に成るには、、、